皆さんは、部下に対する指導をどのようにしていますか?
最近では、「褒めて伸ばす」ことが主流になっているのではないでしょうか?
子育てでも同じことが言えると思います。
実際に教育現場でも、指導法や体罰に対して厳しくなっているのも事実です。
野村監督は著書の中で「人間は無視・称賛・非難の順で試される」と記しています。
今回は野村監督の考えをもとに、指導法について考えをまとめていきたいと思います。
野村監督が考える指導法
近年は、小学校から「褒めて伸ばす」「褒めて育てる」が主流となっています。
その反作用からか、小さい時から叱られることに慣れていないため、少しの注意でも意気消沈していまう人も少なくないと思います。
野村監督は現代の考えとは正反対で、「叱って育てる」を指導の基本方針としていました。
その根底には「褒められている間は、半人前もしくは二流である」という考えを持っていたからです。
つまり、褒めたりおだてたりするのは、そうしなければ自ら動こうという意欲が引き出されないと考えているからです。
私自身の指導を振り返っても、勤務年数が若い世代には褒めることが多いと実感しています。
なぜなら、「自信をつけさせたいから」「ステップアップしたいという意欲を促したいから」といった考えがあることに気づきました。
極端に叱るは現代の考えには合いませんが、多少の失敗やミスをしてもへこたれない精神力を付けさせるのも、上司の大切な指導ではないかと考えさせられました。
叱ると怒るは違う
ここで、叱ると怒るは全くの別物ということを理解しなれけばいけません。
叱るは「相手の非を正すために行うのも」
怒るは「自分の感情から生じるのも」
つまり、人に対して指導する場合、決して自分の感情からのみ生じる「怒る」ではいけません。
「自分が気に食わないから」「自分の思い通りにならないから」といった理由で指導をすると、それは「怒る」になってしまいます。
「叱る」には、そこに客観的な理由がなければなりません。
つまり、「~だからしてはいけない」「~だから守らないといけない」というように、指導しなければいけない相手に、何かしら非があるからこそ「叱る」という指導になります。
相手に対して、愛情があるからこそ「叱る」ことができます。
無視→称賛→非難
野村監督は、指導する相手に対して「全く話にならないときは無視、少し見込みが出てきたら称賛、組織の中心を担うような存在になったと認められたら非難する」としています。
これは個人的には若い人に響いてほしい言葉です。
非難されるのは期待の表れということです。
褒められることが多い場合は、まだまだ実力が認められていないということです。
一人前や一流と言われる人は、褒められなくても自分の意志で更なる高みを目指すことができます。
「褒められないから認められていない」ということではありません。
指導する側も、指導される側も意識しておくべきことだと思います。
まとめ
本日も野村監督の言葉から学びました。
本当に野村監督の言葉は心に響く言葉や、考えさせれる言葉多いです。
是非とも皆さんも一度読んでみて下さい。
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